僕は結構、モノゴトを否定・批判するほうだと思う。
「あれはダメだ。」
「あのお店の料理はまずい。」
などなど・・・。
どちらかというと、
褒めるよりも否定・批判することのほうが多い気がする。
でも最近考え方を、改めようと思っている。
なかなか難しいんだけど、とりあえず頑張っている。
それはなぜか?
それは、、、
自分が批判するモノの後ろには、
それに関わっているたくさんの人がいる
ってことを、意識するようになったから。
(むしろ、その人たちに感謝しなければいけない
っとまで思うこともある。)
たとえば、
僕は、学校の学食について、いつも批判していた。
まずいし、手際も悪くて最悪だ・・・と。
(実際にアンケートにそう、書いたこともある)
でも、深く考えてみれば、どうだろう?
その後ろには、
食事を作ってくれるオバちゃん、メニューを考える栄養士?、
食器を洗うオバちゃん、食堂を管理している人、
といろんな人が絡んでいる。
自分にそれを批判する権利があるのだろうか?
お金のため、人生の充実のため、子供のため、
いろんなことためにそれぞれが、一生懸命がんばっている。
その人たちをただ、「まずい!」の一言で批判する権利は、僕にはない。
ただ、
論理的に、具体的に、何処がダメで、
代替案とか改善案はこういうのがある。
みたいなことを訴える権利ならあると思う。
たとえば、
○○なところがダメだから、○○なように直したらいい
とか、
たとえば、○○大学は、あんなことをしているから、それを○○として応用して取り入れたらいい。
だとか。
しっかりと、「意見」という形で、
あらわすのなら良いと思う。
僕は、
物事を批判・否定する人間には、
ざっくりわけると、3つのタイプがあるんじゃないかと思う。
◆1◆
物事をただ陳腐な理由しかいわずに批判・否定する人(愚か者タイプ)
◆2◆
物事を論理的に具体的に考え、代替案や改善案をだして否定・批判する人(一般人タイプ)
◆3◆
物事のすべてを受け入れ、肯定する努力をする人(賢者タイプ)
(3)には、たぶんなれない。
一時的にはなれても、ずっと持続するのは無理だろう・・・。
だから、なるべく(2)になろうと思う。
そして、昔のように(1)には、なりたくないと思う。
(1)みたいな愚か者にならないためにどうすればいいか?
これは自分の場合だけど、、、
ものごとを批判・否定したくなったら、
一面的にではなく、多面的にものごとをみてみる。
そしてまずは、
批判・否定できなくなる理由を探してみる。
後ろにいる関係者がどれだけ頑張っているか考えてみる。
それがないようなら、
論理的にどこがダメか、説明できるか考えてみる。
代替案を探してみる。
改善案を探してみる。
そしてそれらを有機的に結びつけてひとつの意見としてみる。
そして、
それらが何一つ考えられないなら、何も言わずそのモノゴトを受け入れる。
そういうことを常に考えてみる。
そう心がければ、
何も考えずに否定・批判をすることが減るんじゃないかと思う。
あっ、
別に物事を、批判・否定することが悪いって言ってるんじゃなくって、
頭ごなしにものごとを否定・批判する前に、
ちょっぴり考えてみるのもいいんじゃないですか?
ってことです。
否定・批判により新たな価値が創出されることも多々あると思うので、
時には大事な時もあるかと・・・。
っと、
ふと思ったので、記事にまとめてみました。
(あんまりまとまってないけど・・。)
思ったよりも長くなってしまった・・・。