太宰治の人間失格の解説のなかで、
奥野健男さんという方が、
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・・・コンスタンの「アドルフ」が
恋愛の心理と人間の悲劇的な性格の本質をとらえた作品として・・・
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ということを書いていた、
そんなすごい作品があるのか、、、
と思い早速探して読んでみた。
アマゾンでも微妙な取り扱いで、
探すの結構大変だった・・・。
とりあえず、
岩波も新潮も手に入れたので、
新潮のほうを読んでみた。
ストーリーは、簡単に書くと、
日常生活に対して、
ひねくれた感情をもつ貴族の息子の主人公アドルフが、
友人の恋愛の成功をしり、恋愛について興味を持つことから始まる。
そして、エレノールというアラフォー女性(恋人?アリ)に
近づくことになる。
ただそれは、本気で恋をしようとは思っているわけではなく、
自分の自尊心を満たすためだけの恋のはずだった・・・。
恋のアプローチを続けていくうちに、アドルフは、
次第にその恋にのめりこんでいく自分に気づく。
そして2人は、周りの反対をおしのけ、
どんどんと距離を縮めることになる。
・・・が、距離が縮まるにつれ、
主人公に疑問が芽生える。
それは、
エレノールが自分の足を引っ張る存在になりつつあるということ。
エレノールと一緒になったことで、
自分が成功の道から外れてしまったということ。
それに悩み、
別れるか、そのままの関係を続けるかの葛藤に、
主人公はさいなまれ、、、
最後には、、エレノールは・・・。
うまくいかなかないときに悩み、
うまくいったら、うまくいったで悩む。
そんな姿は今も昔も変わらないんだなと思う。
何かを始めたり、続けたりするということは、
楽しいことでもあり、辛いことでもあるんだよね。
とくに恋に関して言えば、
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恋情こそはあらゆる感情の中でもっとも利己的なものであり、
従って、傷つけられた場合にはもっとも情け容赦のないものになるというのに。
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こんななんだよなぁ。
まさに恋は盲目。
そして、この悩み・葛藤に対して、著者は最後に
こう書いている。
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境遇などというものは実際取るに足りないもので、
性格が一切です。
たとい外部の事物や人間と絶縁しても駄目で、
自分自身と絶縁することはできません。
境遇を変えてはみますが、結局振捨ててしまいたいと思っていた
苦悩を新しい境遇に映すだけのことです。そして、
場所を変えても自分が矯め直されるわけではありませんから、
ただ、未練に後悔を加え、苦悩に過失を加えてしまうまでのことです。
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なにかの原因に対して、
環境とか、人のせいにする人は多い。
でもそれは、違う。
すべての原因は自分自身にある。
この主人公アドルフは自分が成功できない理由を、
エレノールに押し付けた。
でもそれは違った。
根本的な理由はアドルフ自身にあった。
主人公は結局それに気づくことはなかった。
うまくいかない原因を、
人、モノに押し付け、それを変えたとしても、
結局は、またあたらしく関係する人、モノに、
原因を押し付けていくことになる。
自分自身が根本的に変わらなければならない、
この主人公のような過ちをおかさないためにも。
それは、恋であれ、仕事であれいろんなものに
応用できることだと思う。
この本を読んで、
そんな気づきがあった。