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久保のブログ

村上春樹の「1Q84 Book 3」を読んで思ったこと

1Q84 Book3を読み終えた。

正直、1と2を続けて読んだときよりも、面白い!っと思った。
村上春樹独特の世界観も1、2に引き続き健在。
(まぁ、3で世界観が変わるわけないけどさ。)

そして読み終えた後の
喪失感というか虚無感というか、、それも健在。
読み終えたあと、しばらくは、 なのもせず、ぼーっとしてた。

1Q84 BOOK 3
1Q84 BOOK 3

posted with amazlet at 10.04.27

村上春樹
新潮社 (2010-04-16)
売り上げランキング: 2

Book3が、なぜおもしろいのか?

それはたぶん、1と2には主人公として存在しなかった
牛河の存在が大きいと思う。

読んでいて、牛河のパーソナリティには、
なんだか好感がもてた。

たとえば、

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ほかの旧友のようにちゃらちゃらと遊んでいる暇はなかった。
あらゆる現実的な楽しみを棄てて――
それはたとえ求めても簡単には得られそうにないものだったが――
とにかく勉学に専念した。
劣等感と優越感の狭間で彼の精神が激しく揺れ動いた。
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彼が目の前のきつい苦痛に耐えられるのは、
それよりも更にきつい苦痛がこの世に存在することを身をもって学んできたからだ。
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この部分。

醜い風貌をもって生まれた牛河がどれだけ、
苦労し、努力してきたか?
1と2ではわからなかった部分が見えてくる。

そういえば、
ねじまき鳥クロニクルにでてくるほうの牛河がいうセリフに
こんなフレーズがあった。

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一人の人間が誰かを憎むとき、どんな憎しみがいちばん強いとあなた思いますか?
それはね、自分が激しく渇望しながら手に入れられないでいるものを、
苦もなくひょいと手に入れている人間を目にするときですよ。

自分が足を踏み入れることのできない世界に、
顔パスですいすい入っていく人間を指をくわえて見ているときです。
それも相手が身近にいればいるほど、その憎しみは募ります。そういうもんです
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こういうフレーズをみると、
1Q84の牛河とねじまき鳥の牛河は似ている存在に思える。

あと、1Q84の牛河が
悟ったこの部分もすごい。

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そして他人が語ることに――
それがたとえどんなことであれ――
注意深く耳を済ませるのを習慣とした。
そこから何かを得ようと心がけた。
その習慣はやがて彼にとって有益な道具になった。
彼はその道具を使って多くの貴重な事実を発見した。
世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考えることなんてできない――
それが彼の発見した「貴重な事実」のひとつだった。
そして、ものを考えない人間に限って他人の話を聞かない。

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ものを考えない人間に限って他人の話を聞かない。
確かにそうかもしれない。
そんな人間にはならないようにしたい。

このように、村上春樹の作品は、
多くの気づきを与えてくれる作品でもある。
この発想はなんなのだろうか?

たとえばこの部分

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でも実際には時間は直線じゃない。
どんなかっこうもしていない。
それはあらゆる意味においてかたちを持たないものだ。
でも僕らはかたちのないものを頭に思い浮かべられないから、
便宜的にそれを直線として認識する。
そう言う観念の置き換えができるのは、今のところ人間だけだ

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時間が、直線であると当たり前に思っていた。
こんな発想があるなんて、自分には気づきもしなかった・・。
自分が普段から、
どれだけステレオタイプな考え方をしているかを感じた。

そして、生きることの意味。
そういうことがさりげなく作品のフレーズの
中に入ってくる。

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希望のあるところには必ず試練がある。
あんたのいうとおりだよ。そいつは確かだ。
ただし希望は数が少なく、おおかた抽象的だが、
試練はいやというほどあって、おおかた具体的だ。
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これが生き続けることの意味なのだ、青豆はそれを悟る。
人は希望を与えられ、それを燃料とし、目的として人生を生きる。
希望なしに人が引き続けることはできない。しかしそれはコイン投げと同じだ。
表側が出るか裏側が出るか、コインが落ちてくるまではわからない。
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人は時期が来て死ぬのではありません。
内側から徐々に死んでいき、やがて最終的な決済の期日を迎えるのです。

誰もそこから逃れることはできません。
人は受け取ったものの代価を支払わなければなりません。
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読んでいていろいろと考えさせられる。

そして今回、個人的に好きだったのが、
タマルのかっこいい引用。

これはヴィトゲンシュタイン。
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しかしいったん自我がこの世界に生まれれば、
それは倫理の担ぎ手として生きる以外にない。よく覚えておいた方がいい。
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そういや、『論理哲学論考』買ってまだ、読んでない・・・。

これはトルストイ。
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快楽というのはだいたいどれも似たようなものだが、
苦痛にはひとつひとつ微妙な差異がある。
味わいとまではいえないだろうがね。
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引用というは、説得性を増す際に有効な手段だと思う。
やっぱり、なんの成果も残していない人の話ってのは
そんなに説得性はないよね。

タマルはこういう。

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俺は系統的な教育を受けていないから、
実際に役にたちそうなものだけを、
ひとつひとつその度に身につけていくしかないんだ。
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と、よんでいて、
いろいろ気づかされたBook3。

はたしてBook4はでるのか?

個人的には、これで終わりかなーと思ってたんだけど、
まだ続くって思ってる人も結構いるみたい。
どうだろう・・・。

個人的には、
こういう終わり方でもいいのかなって思った。