背負っている心の中の十字架を受け入れること 『十字架:重松清』を読んだ。

昔ユウくんに言われた「荷物を降ろせ」という言葉を、最近よく思い出します。
それって無理だよね。と思うのです。
わたしたちはみんな、重たい荷物を背負っているんじゃなくて、
重たい荷物と一つになって歩いているんだと、最近思うようになりました。
だから、降ろすことなんてできない。
わたしたちにできるのは、背中をじょうぶにして、足腰をきたえることだけかもしれません。

人は、成長するにしたがって、
白かったものが灰色になり、黒になる。

白いままじゃ成長できない。
そして、成長する段階で心に何かしらの
十字架を背負うことになる。

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重松 清
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それの重い、軽いは、
育ってきた環境や時代などの外部要因や、
生き方、性格などの内部要因などで変わってくるだろうけど、
きっとなにかしらの十字架は背負っている。

そして、重松清の十字架は、
重すぎる十字架を背負うことになった、
ある男女のストーリー。

久々に読む重松さんの作品。

タイトルからして重そうだなぁと思ったけど、
やはり重い話だった......。(読んだあと、ずーんってなる。)

それにしても、
この人の小説は心に深く残るものが多い。
この作品もそんな作品になった。

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昔ユウくんに言われた「荷物を降ろせ」という言葉を、最近よく思い出します。
それって無理だよね。と思うのです。
わたしたちはみんな、重たい荷物を背負っているんじゃなくて、
重たい荷物と一つになって歩いているんだと、最近思うようになりました。
だから、降ろすことなんてできない。
わたしたちにできるのは、背中をじょうぶにして、足腰をきたえることだけかもしれません。
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背負ってしまった十字架は、
おろせない。

つまり、過去は変えられない。
変えられるのは、
今後の自分の振る舞い、考え方、生き方
未来のことだけ。

それを受け入れられないことだけが、
むなしさを残す。
寂しさを残すんだと思う。

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寂しさってのは、両方で分かち合うものじゃないんだ。
自分は寂しがってても向こうはそうでもなかったり、
その逆のパターンだったり......。
片思いみたいなものだよ。

だから、寂しいっていうのは、相手がそばにいないのが寂しいんじゃなくて、
なんていうか、そばにいない相手が、自分が思うほどには
自分のことを思ってくれてないんじゃないか、っていうのが寂しいっていうか......
その寂しさが寂しいっていうか......
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寂しさについて言及されている、
この箇所は気になった

そうなんだよなぁ、
寂しさってこんな感じでもあるよなぁっと。

誰でもきっと、生きていて、
つらいって思うことがあると思う。

辛いって書かれてて、
「つらい」って読むのか「からい」って
読むのかわからない時もあると思う。

でも、
きっと楽しいこともある。

目をそらさず、歩き続けることが重要で、その先に光がある。

十字架をおろすことを考えるのでなくって、
現実を受け入れて十字架とどう付き合っていくかを
しっかりと考えることが重要ではないかと。

そんなことを読んでいて思った。

※なんだか自分自身も重い十字架を背負っているみたいな雰囲気の記事になってしまったけど、
べつに自分自身は重い十字架を背負っているわけではないです...。

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