限りある命だからこそ…。:「永遠を旅する者 ロストオデッセイ 千年の夢:重松清」を読んだ。

人間っていうのは弱いからいいんだ、と思うんだ。弱さは狡さにもなるけど、優しさにもなる。
弱さが人間を苦しめることはたくさんあるけど、逆に、弱さが救ってくれることだってあるんじゃないか?

ゲームとのコラボ作品とのことで、 なんとなく敬遠していたのだけど、
評判がよさそうなので読んでみた。

永遠を旅する者 ロストオデッセイ 千年の夢 (講談社文庫)
重松 清
講談社 (2010-10-15)
売り上げランキング: 20490


・・・いい作品だった。

永遠の命を生きる男、カイムの物語。
物語はひとつひとつが独立していて、どこからでも読むことができる。

序文で著者が語っていた、
著者の小説に関する定義も印象に残った。

ぼくのお話は、常に「時間の短さ」を根底に置いている。
家族がリビングに揃っている時間の短さ、青春の短さ、少年の日々の短さ、人生の短さ…
決して永遠ではないからこそ生じるさまざまな葛藤や衝突、そしてささやかな幸せを好んで描いてきた。

重松作品の感動の源はこれだったんだ。

そしてこの源を180度回転し、
作られた作品が本書。
本書を書くにあたって、

「一千年を生きることの哀しみが感じられるようなものにしてほしい」

というテーマだけが与えられたそうだ。

命に限りがあるからこそ、その命は輝きをはなつ。
もし、その命が永遠のものならば、どうなるのか?

すごい難しいテーマだと思う。
でも、その難しいテーマからここまでの作品を作りだせるのは
この著者のすばらしさだと思う。

主人公が永遠に生きる中で、
体験することになる、悲しみや喜び、他人からのねたみや愛情。
それらが、ひしひしと文章から伝わってくる。

川の水は決して腐ることがなくとも、それを瓶に溜めたら、やがて腐敗してしまう。

主人公以外の人間はみんな限りある命を生きている。

みんなその命の中で、精一杯生きている。
そんな人たちの不器用な生き方に共感できるものがあった。

咲いている時間がどんなに短くても、その時間にせいいっぱいきれいな花を開いて、
甘い香りをたちのぼらせることができたら、それで花は幸せなんだよ

多くの人間が不器用で、
その不器用さを認めてあげることっては、 ”やさしさ”なんじゃないかと思う。
そして自身の不器用さを受け入れることが ”強さ”なんじゃないかなと思う。

殺戮は臆病者の所業だと、
俺は思ってる。

その通りだとおもう。
弱いからこそ強がって、いきがりたい。
そして、復讐におびるから、復讐がこないようにしむける。
それは弱さがおこすことだ。

嘘や悪口というものは不思議なものだ。それらは、話し手がいるから成立するわけではない。
その話に耳をかたむけ、相槌を打つ聞き手がいるからこそ、嘘は嘘として、悪口は悪口として、成り立つのだ。
真の意味で孤独なひとには、誰かの悪口をいうことはできない。
嘘も同じだ。

たしかに、本当の孤独はだれにもなにも 語れないことなのかもしれない。
ただ、嘘や悪口はその孤独を自ら作り出すことになるのかもしれない。

歳をとりすぎて惚けちゃうのは、あんがい、神様の優しさなのかもしれないな、って
最近思うんですよ。ひいばあちゃんはひとりぼっちで寂しいけど、でも、さびしくないんですよね。
たくさん生きてきたってことは、たくさん思い出があるわけだから・・・その思い出の中で、
人生の最後の日々をすごすのも、いいんじゃないかな、って・・・。

最後の瞬間をこんなふうに、とららえることができるって
素敵なことなんじゃないかと思う。

永遠に生きる人間の人生を通して
限りある命の中にある、輝きを見つけ出せる
本だと思う。

若い頃の夢は、確かに、自分のやりたいことをやる、だった。
だが、夢は消してそれだけではない。
自分が愛し、自分のことを愛してくれる人に。
いつも、いつまでも笑っていてほしいと願うこと--。
そういう夢だってあることに、ひとは、おとなになると気づくのだ。

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