後悔について考える 「きみ去りしのち:重松清」を読んだ

亡くなったひとに居場所を与えるというのは、
のこされたひとが悲しみをこらえるための
知恵なのかもしれない。

人が生きている限り、後悔というものは、
一生付きまとっていくものだと思う。

その後悔は、きっと心の中で、

「○○しなかったら」
「○○していれば」

といった、いわゆる『たら・れば』の考えに変わる。

その後悔が、
たとえば人の死に関するものであったら?

それが描かれているのが、
「きみ去りしのち」だ。

きみ去りしのち
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重松 清
文藝春秋
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一生消えない傷を心に負っても、ひとは一生泣きつづけるわけではない。
そして、涙が涸れたからといって、傷がきえてしまったわけでもない。
私たちがこれから背負っていくのは、涙の出ない悲しみなのかもしれない。

主人公が同じ短編形式のストーリー。
重松清の巧みな心情の描画により、すばらしい作品になっている。

重松清の作品は、このような悲しみを
かかえた人間の描写がすばらしいと思う。
すばらしいからこそ、読んでいる読者も考えさせられる。

もし、自分が同じような境遇になったら?
と。

忘れちゃうのと思い出さなくなるってのは、違うもんね

一歳になったばかりの息子を、
病気で失った主人公とその妻。

失ったものが大きすぎて、
その悲しみから立ち直れず、さまざまな旅を続けた。

そしてその旅のなかで、出会ったさまざまな人々も
また同じような悲しみを背負っていた・・・。

もっと大きな、「幸せ」という言葉にはおさまらないほどの幸せが、
ほんとうはどこかにあるのだろうか。
私たちは誰も、それがどういうものなのか知らないから、
幸せについて考え続けるのだろうか。

憎しみというものは、
対象の相手がいるからこそ、発生する。
相手がいなければそれは、後悔にかわる。
ひたすらに自分を責め続けることになる。

その後悔が、消える方法は、
どんな名医も精神科医もわからない。
人それぞれ違うだろうし、
むしろ存在さえしないのかもしれない。

後悔にとらわれるひとを、
客観的に見れば
いつまでもくよくよしてんなよ。
といった薄っぺらい言葉で片付けられるかもしれない。

でも、それが自身の身におこった時、
なにができるだろう?

そんな深いほどの後悔を、28年間経験していない自分は
もしかすると幸せなのかもしれない。

読んでいてそんなことを考えた。

忘れることや捨て去ることはできなくても、
少しずつ薄めることはできるのかもな

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